日本人であれば誰もがご存じの日本一の山・富士山。国内外からの観光は勿論のこと、遥か昔から信仰の対象として今日も聳え立っています。
日本に『富士』と名付けれた地名が多いのは、富士山が日本の文化として根付いているからだと思いますが、現在『富士』と名付けれた地名はどれほどあるのでしょうか。
富士山の名前の由来
富士山は『常陸国風土記(721年成立)』に「福慈岳」という語で記されており、この記載が富士山の最も古い記載とされてます。
富士山と言う呼び名は『続日本記(797年完成)』で初めて登場し、平安時代には『富士山』と言う名前が正式名称として使用されています。名前の由来は『富士山記(平安初期に記載)』に富士山がある周辺の国である駿河国富士郡から名前が取られたと記載されています。
信仰としての富士山
富士山は、古来より神の住む山として畏れられ、信仰の対象として崇められてきました。
かつて富士山は噴火活動が活発であり、富士山の噴火を鎮めるために、806年ごろに浅間神社を富士山の麓に建立しました。
噴火活動が沈静化する平安時代後期以降、富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した『修験道』の道場となり、富士山の験力や霊力を得ようと山に足を踏み入れ、山頂を目指して修行をする(登拝)者が出てきました。
富士山は平安時代以前は登るものではなく、遠くから仰ぎ見て崇拝する『遙拝』の対象とされていました。また江戸時代までは女人禁制とされていました。今では毎年7月以降には国内外から多くの登山者が訪れ、山頂を目指しています。
芸術・文化としての富士山

出典:竹取物語絵巻下巻
富士山は信仰だけでなく、様々な芸術的観点でも用いられています。
万葉集や新古今和歌集では富士山を詠んだ歌はいくつも収められており、当時の噴火の様子や、富士山の神秘的な様子が詠われています。
また竹取物語ではかぐや姫からもらった不老不死の薬を月に最も近い山で燃やす描写がありますが、この山が富士山であると言われています。

作:葛飾北斎『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏

作:歌川広重『東海道五十三次』原 朝の次
江戸時代に入ると誰もが一度は見たことのある葛飾北斎や歌川広重の富士の絵など、絵画のモチーフとして取り入れられました。
また富士山の芸術的観点は日本だけでは留まらず、ゴッホやモネ、セザンヌと言った19世紀を代表する印象派と呼ばれる画家たちは、富士山そのものを描いた作品を残しています。
富士の地名はいくつある
このように遥か昔から日本に、世界に認知されている富士山だからこそ、富士山に肖り、富士山を崇めて地名に富士と名付けたり、崇める富士山が見える土地だから富士見と名付けたりする地名が数多く存在する。とは言え非常に多いように思えます。
そこでネットで把握できる限り、『富士』と付く地名を調査しました。
検索対象は①地名辞典オンライン(地名事典オンライン (jitenon.jp))②国土地理院(GSI HOME PAGE – 国土地理院ホーム)に記載のある地名および③郵便局 郵便番号検索(郵便番号検索 – 日本郵便株式会社 (japanpost.jp))で郵便番号で表記のある地名(平仮名の『ふじみ』含む)のみを対象としました。
『富士』がある都道府県:34都道府県
『富士』の付く市:5か所
『富士』の付く地名:273か所
※富士市〇〇や富士川町〇〇などはカウントしないものとする。ただし〇〇にも『富士』が入るものはカウントする
『富士』が付く住所総数:666か所
想像以上に富士が多い結果となりました。やはり日本人は昔から富士山が生活のそばにあり、富士山を崇めていたのだと思います。
なぜ関東以外でも富士がある?


ピンの位置:全国各地の『富士』の地名がある場所
このように富士の地名をマップで記すと如何に富士山が日本の象徴として、電話もネットも普及していなかった時代から全国に広く知れ渡っていたのかが分かります。
今と違い高い建物がなかった時代を考えると関東圏は分かりますが、北海道や九州では富士山を見ることは可能だったのでしょうか。
全国には郷土富士(ふるさと富士・ご当地富士)と呼ばれる山容(山の形・姿)が富士山に近い山や、富士山信仰のある山が数多く点在しています。
各地の山々が〇〇富士と呼ばれるようになったのは主に明治以降と言われており、明治22年(1889)の市制・町村制施行(「明治の大合併」)の際に郷土富士を富士山と見立て、その周辺の地名に『富士』と名付けたのではないでしょうか。
郷土富士はいくつある
上記の都道府県同様に、ネット上で確認できた郷土富士をまとめてみました。
『郷土富士』がある都道府県:47都道府県
『郷土富士』のある国・地域:19か国
『郷土富士』の総数:353座
(ただし郷土富士は400座以上あるとされているので細かいものを含めるともっと多いと思います。)
こちらも地名同様に非常に多いですね。
北海道の郷土富士について考える

北海道は土地が広いために郷土富士もやはり多いことが伺えますが、北海道に郷土富士が多いのは別の理由もあるのではないでしょうか。
先に述べた明治22年(1889)の市制・町村制施行のことも踏まえて考えてみると、まず明治初期には北海道開拓使として本州の士族を中心に多くの人が北海道に移住しました。
帝国統計年鑑のデータによると、北海道への移住が多かった都道府県は青森県、秋田県に続いて新潟県、宮城県、富山県、石川県となります。
勿論他の都道府県から移住された方も多くいらっしゃいますが、もしかしたら本州の、なおかつ富士山が見える地域に住んでいた方が北海道の山々を見て、故郷の富士山と姿を重ねて郷土富士として蝦夷富士や阿寒富士を名付けたのかもしれませんね。
まとめ
全国で非常に多い『富士』と言う地名ですが、地名の成り立ちも踏まえて述べさせていただきました。あくまで先に添付したサイトに掲載のある地名のみに絞ったので大字・小字も加味するともっと多いのかもしれません。
また、『富士見坂』や『富士見公園』などの施設も加えるともっと『富士』と名の付く場所は沢山あると思います。
しかし、実はここまで全国で見られる『富士』の地名ですが、実は一番多い地名ではありません。
日本で一番多い地名は、苗字でも拝見することの多い『中村』なのです。次に『新田』、『原』と多い地名が続きます。
『中村』の地名は全国に700か所にあると言われていますが、こちらの記事もまた書く機会がございましたら何卒。
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