8月も末になると毎年思い出す。思い出すというよりも記憶が襲い掛かってくる。
そう、夏休みの宿題。今は学校の授業要綱も昔と変わって8月最終週から学校が始まるところも多いそうだけど、当時は9月1日から二学期始業が当たり前だった。
つまり今日明日の2日間は残りの宿題を死ぬ気で片付けないと週明けに先生に怒られる。当時はカタカナの難しい言葉を読める先生はいなかったのでコンプライアンスとかモラルなんて存在しない。小学生相手でも手が出る足が出る(何
しかし手を出す先生が悪いのかと言えば、宿題を一切やってないのに「家に忘れました」だけで1週間くらいやり過ごそうとしたつちだいら少年が一番悪かった。先生ほんとに申し訳なかった。
当時私は宿題ほとんどやらないし、絵も苦手だからポスター作製なんかした記憶もないし文章書くのも嫌いだから読書感想文も書いた覚えがない。そんな奴がブログで文章書き散らしてる訳だからそこは褒めてほしい。
今はネットもあるから算数の計算問題も(途中式とか含めて)簡単だし、国・理・社は全部AIに任せたら2時間くらいで宿題終わるんじゃないの?現代っ子はどうやって宿題を楽にしてるんだろうか。
楽にする方法ばかり考えて肝心の宿題に手を付けてなかった私は、この夏休み最後の土日だけは必死に机にかじりついて宿題を片付けたのを覚えてる。
そして偶然か必然か、宿題の最後の追い上げをしてる時、必ずと言っても良いほど目にする夏の風物詩。
今年で何回目か分からないけど、夏の終わりの風物詩、24時間テレビ。
特段思い出に残ってる年とか好きなシーンがあるわけじゃないけど、最後のサライを聞くと夏休み終わるなって言う寂しさと、やべえ宿題終わってねえぞって言う絶望感が大人になった今でもフラッシュバックする。
24時間テレビと言えば長年のテーマだった『愛は地球を救う』が募金の着服のせいで変わって『愛は地球を救うのか?』と言う疑問形に変わったのだと。
このままいけば地球を救うのか?と言う疑問に対して『死は救済』みたいなテーマに変わらないことだけ願いますよ。ちなみに死は救済の対義語は『生き地獄』とかでしょうか(違
ところでふとした疑問ですが愛は本当に地球を救うのでしょうか。愛を与えることで救われる人は勿論沢山いるのでしょうが。愛で地球を救うことが可能なのか。
自分のことで手一杯は私としては地球と言う大規模なものを救うってことを考えたことないし、救おうとする行為自体は尊敬できる行為だと思うから寄付とかしてる人はただただ凄い。
令和5年度(2023年6月1日~2024年5月31日)の活動実績
福祉車両:559,689,164円
福祉サポート車:41,387,039円
身体障がい者情報保障支援:2,849,393円
難病患者支援:17,707,900円
障がい者スポーツ支援:118,952,577円
子どもの貧困支援:45,180,848円
環境保護活動支援:10,266,622円
そんな寄付の話ですが、環境保護にも寄付金を使ってると考えると地球は救ってた。ただこれで地球を救ってるとなると寄付金で地球を救ってるから『愛=金』と言う最悪の方程式が完成してしまう。
地球を救うのは愛じゃなくて孫悟空さんに任せた方がいいのでは?彼は横領とかしないし。
と言うことで全国の先生方、次の宿題では『愛以外で地球を救う方法を答えろ』と言うのを宿題にして募ってください。
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